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2006年08月03日

資本主義とか民主主義とか

とりとめもないことを考えてみる。
民主主義って、政治体制として、ベストなものなのだろうか?
資本主義って、経済体制として、ベストなものなのだろうか?

決め事をするときにみんなの意見を聞く、という民主主義は、まあ、妥当だろう。
現実的に全員の意見を聞けないから、代表者を選ぶ、間接民主主義も、まあ、妥当だろう。
しかし、国民が、いろいろなものに煽られて、多数がある方向に偏る、といことが起こりやすいのも、また事実。特にテレビというメディアが普及したころから、この傾向は強くなった。
そういうものがあるから、選挙の前になると、政治家は「人気取り」をするわけだ。きっと本心じゃない(選挙が終わったら忘れてしまうような)ことを言ったり、パフォーマンスをしたり。
で、国民が、それにだまされると、国は困ったほうへ行くわけだ。
だから、国民は、すべて、主体的に、冷静にものごとの本質を見なければいけない。
でも、テレビというメディア(特に民放)は、ニュースを、扇動的・感情的に伝える傾向があり、それにだまされてしまう国民が多いのも、また事実。新聞にしても、新聞ごとに、論調や立場が違うのはあたりまえで健全なわけで、それを1つだけ読む、というのは、ものごとを偏ってみることになる。だから新聞は、複数を読み比べるのがよい、と、よくいわれる。テレビだってそうだろう。(最近、民放のニュースをハシゴして見ることが多いけど、同じ事実に対して論評がかなり異なるので、それはそれで面白い)

結局、国民一人ひとりが、マスメディアに煽られず、しっかりして、主体的に、冷静にものごとの本質を見るように、努力しなければ、いけないんだ、ということだ。

資本主義だってそうで、資本主義の下では、基本的に、売る側は、「売れるもの」を作るように、世の中は動く。つまり、「売れるもの」だけが増えていく。
では、「売れるもの」とは何かといえば、メディアで煽られたものだったり、表面的に目を引くものだったりするわけだ。(バブルのころ(今でもそうか)のa○exの音楽なんかは、その類だ)
でも、そういう「売れるもの」だけが世の中に普及していくと、その「売れるもの」が、よいものだったらいいけど、ヘンなものだったり、害があるものだったりすると、いろいろと困ったことが生じるわけだ。そのヘン、とか、害、とかは、作る側が意識していることもあるだろうし、無意識のこともある。しかし、作る側が害を意識しているものを作って売る、という行動は、ある程度は倫理観でおさえられるだろけど、最終的には、「売れるかどうか」との天秤になるわけだ。(あるいは、売ってしまった後で問題が起こったときの賠償のめんどくささや負担の大きさとの天秤)これは、資本主義の下では、根本的には防げない。

結局、買い手一人ひとりが、しっかりして、主体的に、冷静にものごとの本質を見るように、努力しなければ、いけないんだ、ということだ。

まあ両方とも同じ結論になるわけだけど、一人ひとりが、そういう負担や苦労をしなければいけない世の中、というのは、ベストなんだろうか?
別に共産主義や社会主義や独裁国家がいい、ということではなくて、なんか、他に、もっといいやりかた、というのは、あるんだろうか。
わかんないや。
インターネットなんかでメディアが多様化すると、なんか変わっていくのかな。


投稿者 akita : 2006年08月03日 15:54

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コメント

抽象的ですが、最近は、○○「主義」というよりも、「自然」に「理解」されるような仕組みが良いのではないかと思うのです。
具体論は検討中、ということで。
とりとめも無くすんません。

投稿者 もー : 2006年08月05日 22:37

なるほど。よく考えたら、○○主義、といっても、だれかが強制してるわけじゃないですもんね。

投稿者 akita : 2006年08月07日 10:57

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