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2007年07月06日

ICPC

学生さんがACM ICPC(国際プログラミングコンテスト)に出場したい、というので、監督を引き受ける。
練習などはお任せで、予選当日の監督だけ、だったけど、非常によい活動だと思う。
残念ながらアジア予選には進めなかったけど、非常にいい経験になったと思う。
どうも金沢大生は、とかく中にこもりがち、内弁慶になりがちなように思える。これは、同じように、あまり外を見ないで育ってきた教員が多く、学生に、世の中を見せる、ということをしないから、というのが大きな要因のような気がする。

世の中を広く見る機会をもつ、ということは、非常に大切なことだと思う。
研究会で、発表したり、そのスジでこの人を知らないとモグリだろう、という有名人を生で見たり、することも、同じように、大切なことだと思う。

このような活動を大切に見まもって行きたい。

投稿者 akita : 2007年07月06日 20:25

コメント

学生さんが自分から何かに出場したいというのは、
大変よい傾向ですね。akitaさんのオーラがよい
影響になっているのでしょう。

ただ、大学教員批判については、akitaさん自身が
自分の研究分野を変えるとか、海外で仕事をするとか、異文化に渡ってからにしたほうがよいのではな
いでしょうか。広く見る努力をしても、3次的に繋
がって見えてないと、平面的な世界観から、"学生
に(既存の)世の中を見せる"などという言葉が出
てくるのではないかと思います。
研究会などで学生と刺激を受けることが重要である
ことに間違いはないでしょうけど。

投稿者 kitagawa : 2007年07月08日 17:06

kitagawaさん、コメントありがとうございます。
今回の活動は、自発的なものでした。大切に見守って行きたいと思います。

後半の教員批判、というご指摘ですが、上の文は、そういう意図で書いたものではなかったつもりでした。ましてや、特定の教員のことを書いたつもりはまったくありません。ただ、(学内の)周りのいろいろな人をみていて、感じたこと、でした。誤解を与えてしまったとしたら、お詫びします。

確かに私自身、あまり広くを知っているとは思っていませんが、学生時代を含めて3つの大学に籍を置いて、(特に未来大では)、集積回路という一つのものを、いろいろな視点から見る経験をできたと、自負しています。

先の文の後半の意図は、たとえば電気関係学会北陸支部大会での(他大学の人のものも含めて)発表を見ていると、自分のやっていることの位置づけがまったくできていないなあ、と、よく感じます。それでは、ただの自己満足でしかなく、他の人がやっていることを知った上で、自分のやっていることの位置づけをする、ということが、大切なのだと、強く思います。・・・ということのつもりでした。

投稿者 akita : 2007年07月08日 19:55

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