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2009年07月03日

エコ教

エコポイントやエコカー減税、というのが始まったみたいだけど、どうかんがえても消費刺激策としか思えない。
エコ、地球温暖化防止のため、と言えば、なんでも許されるわけだ。
これは、まあ、宗教だな。エコ教。

ほんとに地球が温暖化しているのか?
その原因のほとんどがCO2排出なのか?

そのことを、本当に自分の手で確かめて、エコだ、と騒いでいるのか?

ホッキョクグマがおぼれている映像(実はホッキョクグマは泳ぎが下手らしい)や、ツバルが沈んでいる映像(実は地盤沈下らしい)を、繰り返し流されて、それを鵜呑みで信じているだけじゃないのか?

それは、いわゆる思考停止、洗脳だ。そして、これは宗教でよくつかわれる手法。

どうして、みなそれに気がつかないんだろう。

恐ろしい。

投稿者 akita : 2009年07月03日 08:26

コメント

まぁ、拡大再生産に経済依存する社会で、その無限の拡大を支えるためには、詐欺的なあるいは宗教的な商法もやむなしかなぁとも思います。
ネタとしては、食いつきがよさそうですからね。

環境とか、貧困援助とか、なんとなく聞こえがよくてお金がいっぱいあつまりますよね。

この社会構造を変える大変革は我々が生きている間に起こるのでしょうか。

投稿者 まつむら : 2009年07月03日 11:33

そうなんですよねえ。資本主義が根本的に抱える矛盾(無限に成長することが前提)のことを、誰も言わないのが、非常に心配です。

投稿者 akita : 2009年07月03日 12:26

環境問題についての意見に同感です。
「地球は生きている」って言ってるように、気温や気候が毎年異なるのは当然と思ってます。
20年ほど前に騒いだオゾンホールなんか、いつの間にか言わなくなったし。
結局のところ、黒点の活動周期との関係ではないのかなぁ?

お金にもエネルギー保存則は成り立つはずですよね。

投稿者 わか : 2009年07月03日 19:22

オゾンホール。なつかしい言葉ですね。
黒点の影響って、実は結構大きいらしいですね。

地球は生きている、という類の話は、いわゆるガイア仮説につながるわけですが、
地球上の生き物な仲間だから大切にしよう、なんてきれいごとをいいながら、ゴキブリはつぶすし、雑草は抜くわけです。
で、カブトムシは飼って、きれいな花は大切に育てる。
天然成分100%だから安心、なんていいますが、、大麻だってトリカブトだってフグ毒だって天然成分100%です。

もう、そういう、宗教じみたきれいごとを言うのは、やめたほうがいいんじゃないかなあ、と、思うわけです。

人間にとっては、おぼれるホッキョクグマより、人間のほうが大切に決まっています。
素直に、人間は、自分のエゴのために生きている。
そう、認めるべきなんだと思うんです。だって生物って、そういうものじゃないですか。

投稿者 akita : 2009年07月03日 20:30

エネルギーの無駄をなくしたり、
生き物や環境維持に努めるのは大切なことだと思うんですが。

秋田先生がおっしゃってるのは、
それを安易に経済的あるいは政治的活動の理由にするなってことですよね?

投稿者 mmb : 2009年07月04日 16:20

エネルギーの無駄をなくしたり生物を大切にしたり環境を大切にするのは大切だと思いますが、なぜ大切か?
それを、「地球が泣いているから」というきれいごとで言うのは、間違っていると思うのです。エネルギーがなくなったり、生物(=食料でもある)がいなくなったり、空気や水が汚染されたりしてほしくないのは、なぜか?それは、決して「地球や自然がかわいそうだから」ではなくて、「自分(人間)が困るから」ですよね?

どうしてゴキブリを殺すのは許されるのか?それは、ゴキブリが人間にとって害だからですよね?
どうしてカブトムシを殺すのはだめなのか?それは、カブトムシ(や、それを飼う子供)がかわいいからですよね?
どうして雑草を抜くのは許されるのか?どうしてきれいな花をつむのは責められるのか?

地球がほろぶか人類がほろぶか、どちらかを選べ、といわれたら、地球を捨てて宇宙へ出てでも、人類が助かるほうを選びますよね?それが生物としての人間の本質というものだと思うのです。

そして、その「きれいごと」を、経済や政治の道具に使うのは、ぜったいに許せないと思うのです。それは宗教の悪用です。
経済や政治に使うのであれば、正々堂々と使うべきです。

投稿者 akita : 2009年07月04日 16:45

私だって生きているだけで他の生物を犠牲にしているし、
環境に負荷をかけているので所詮きれいごとになりますが、
私が生き物を極力殺さないのは、
言わばかわいそうだと思うからです。
ゴキブリだってなるべく殺さずに外に逃がします。
それは、人間よりも他の生き物のほうが
よほど純粋に一生懸命生きていると思えるからです。
それを自分の勝手で意図的に殺すのは忍びなくてできません。

最初に言ったように、
所詮それは自分の目に言える範囲だけなので、
それこそエゴでしょうけど。

もちろん人間が暮らせないような環境になってしまうのは、私だって困りますが、
地球が滅びるなら人類だって滅びてもいいと思ってます。
逆に、人類が滅びても、
地球あるいは他の生物が回復できるならそれはそれでいいとも思ってます。
(これこそ他の人のことをないがしろにしてますね。)

何にしろすべて個人的な思い込みです。
ずれたコメントですみません。

投稿者 mmb : 2009年07月04日 17:52

ゴキブリの話は、一例で、かわいそうだから殺さない、という価値観をもつのは、きっと人間だけでしょうね。(例えばライオンは、シマウマをかわいそうと思っていたら生きていけない)それはそれで1つの価値観だと思います。

また、地球が滅びるならば人類も・・・というご意見は、一理あると思いますが、現在の人類の総意であるとは思えません。そのようなとき、地球と運命を共にする人と、宇宙へ逃げ出す人の両方がいるでしょう。でも、どちらがいい、悪い、とはいえないはずで、結局、その人の信じるところにしたがって行動すれば、その人は幸せなわけで、互いのことを間違っているというのは筋が違うわけです。

そういう意味でも、やはり宗教であるわけですが、昨今のエコ換えとかエコポイントとかは、そういうのの一派(多数派?)の信心につけこんで、一部の利権を確保しようという魂胆がみえみえで、それが許せないと思うわけです。このあたりの利権の話は、かなりバイアスもあるので、そのあたりは差っぴいて読むべきではありますが、武田邦彦氏の著書に詳しいので、ご興味があればご一読をお勧めします。

投稿者 akita : 2009年07月04日 20:10

本筋からずれたコメントを度々失礼します。

環境や地球に対しての価値観が人それぞれなのはわかっています。
野生の生物の行動について云々言うつもりもありません。

ただ、
「エネルギーの無駄をなくしたり生物を大切にしたり環境を大切にするのは大切だと思いますが、なぜ大切か?」
ということに対して、
人が困るから、というのはもちろん理由の大半を占めるはずですが、
必ずしもそういう思いからの行動だけではないんじゃないかなぁと思っただけです。

他の生物が人間の行動に対して
どういう感情あるいは感覚を受けるのかはわからないので、
結局のところ自己満足には変わりないんですけどね。
何がいいことかなんてわかりませんし。


エコ教に限らず、
人は皆何かしらの洗脳はされていると思います。
ステレオタイプと言うべきでしょうか。
それを歪曲的に利用して…っていうのは
やっぱりあまりいい印象ではありません。

投稿者 mmb : 2009年07月05日 20:54

ええ、で、最初のエントリーに書いたように、
・環境問題に関しては、非定量的・感情的な報道が多く、それに洗脳されている(=自ら調査したり考えたりしようとしない)人が多い
・その環境問題をうまくつかって、お金儲けをしようとする輩がいる
ということに注意するべきだ、という主張です。

投稿者 akita : 2009年07月06日 07:22

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