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2009年08月04日
総合的学習の時間の思い出
旅行で、北海道を訪れる。
以前、未来大にいたころ、とある高校から、総合的学習の時間に、講義をしてくれ、と頼まれて行ったことがあるのを思い出した。
社会人として生の話をしてくれ、とのことだったので、手を抜かずに、専門の話をした。
当然、寝ている高校生はいたが、先生も寝ていた。
終わった後、その寝ていた先生が、「はい、質問はありますか?難しい話で先生もわかんなかったけど」と言っていた。寝ていたくせに。
総合的学習の時間、というのは、どうもこの手のものが多い。
誰か読んできて適当に話をさせておけばOK、先生のほうも手間がかからない。そんな意識の先生が多いような気がする。
金輪際、その高校(あえて名前は伏せる)とはかかわらないでおこうと誓ったのを、今回の旅行で思い出した。
投稿者 akita : 2009年08月04日 09:29
コメント
小学校の総合的学習は「飛ぶもの」を作るというのがありました。
紙飛行機を作る奴やパラシュートを作る奴、フィルムケースに発泡剤を入れてロケットを作る奴など小学生ながらそれぞれ工夫して作っていました。
発泡スチロールで作った飛行機が、平らな翼なのに揚力をもって飛んでいたのは今でも不思議ですね。
ゆとり教育や総合的学習にしても、いろいろと批判されていますが、本来批判されるべきなのは削減されて開いた時間やできた時間を使いこなせなかった先生側にある気がします。
投稿者 spider : 2009年08月07日 00:52
「飛ぶもの」みたいな内容は、本来の総合的学習の時間で取り扱うべきもので、うまくやっていると思いますよね。
もちろん、準備が、とんでもなく大変なわけですが、得られるものも大きい。これが本来の意義であったはずです。
でもまあ、現場の状況を無視して見切り発車してしまった、という側面もあるわけで、一概に先生が悪いともいえないようにも思います。
投稿者 akita : 2009年08月07日 08:11