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2010年03月14日

いつでも どこでも 高度な医療を

縁あって、興味深いお話を聞かせていただく。

医療は、いつでも、どこでも、高度なものを、と求められるが、
それは無茶な話だ、というものの1つの見方。

高度な手術などの高度医療は、ある程度の数をこなさないと
医師の腕がにぶってしまう。
ところが患者の数は限られている。特に症例の少ない病気だと、なおさら。
つまり、人口の少ないところに高度な医療を行う病院を作っても、患者が少ないので、医師が多ければいいわけではない。
ただ単に医師が足りないわけではなく、患者数との兼ね合いもあるわけだ。

したがって、医療に求められる「いつでも」「どこでも」「高度なものを」をすべて満たすのは不可能で、どれか1つをあきらめるとすれば、「どこでも」ではないか、という話。
「いつでも」は、高速道路などである程度カバーできる。
「高度なものを」は、選択的に高度な医療設備・スタッフを整えればよい。
「どこでも」を、高度な医療機関を人口とは無関係にあらゆるところに、というのは無茶なので、医療機関を整備する代わりに、その費用を、そのような高度な医療を求める人に対して、それに応える医療を提供する場所への渡航費や滞在費などにあてるべき、という話。

たしかに、一理ある話だと思うし、単に「医師不足」と報じられている/政策として議論さてている話とは異なる視点だと思う。

投稿者 akita : 2010年03月14日 00:01

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