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2008年01月31日

ガソリン国会

ガソリン国会、なんていう、人をナメたような名前がついているらしい。

それはさておき、ガソリンが高くて家計が苦しいとか経営が苦しいとかいう声ばかりとりあげられるが、逆の発想をするのはどうだろう。

よく考えたら、冬にイチゴを食べられたり、金沢にいるのに北海道のイカが食べられるのは、おかしな話だ。そういうエネルギーを無駄にたくさん使う社会構造そのものを改めるよい機会、と考えるのは、どうだろう。
食の物流に関しては、間違いなく、地産池消が進むだろうし、ついでに、冬にイチゴを食べるなんていう季節感をだいなしにする食文化をやめて、冬は冬の食べ物を楽しむ、というのは、四季の変化を感じられるし、なかなかいいんじゃないだろうか。
魚を捕るのに集魚灯の発電機の燃料のコストが高くてかなわん、というのも、この際、集魚灯がないと捕れないような魚は、とらなければいい。
だいたいスーパーに並んでいる食材だって、なければないで済むものは多い。例えば北海道産のイカが金沢のスーパーにならんでいなくても、きっと気づくまでにかなり時間がかかるだろう。どうしても北海道産のイカが食べたい人は、北海道へ行けばいい。そのほうがありがたみもあるし、おいしいにきまっている。
あんなに多くの種類、しかもエネルギーばかりかかる食材を並べなくても、別に普段の食生活では、たいして困らないし、肝心の「シアワセ度」も、たいして変わらないんじゃないだろうか。
要は、なくてもかまわないものを必要と思いこませて買わせるのが、自由主義経済(の発展)の必然の結果、ということなんじゃないだろうか。

でもそういうことをしたら物流業界が困る、という話はあるんだろうけど、極端なことをいえば、その昔はトラック輸送なんて存在しなかった時代もあるわけで、なんでもかんでも現状維持、という発想自体を改めるのは、そりゃあ生活がかかっているから難しいだろうけど、徐々に改めていくのは、悪くはないんじゃないだろうか。(でもまあ確かに既得権益を手放すのに人間が抵抗を感じるのは、きっと本能的なものなんだろう)

集魚灯がどんどん明るくなったり、スーパーにいろんな食材が並ぶのは、自由主義経済の必然の結果ではあるわけだけど、さすがに現状は行き過ぎなんじゃないだろうか。それを見直す、いい機会であるような気がする。
ちなみに集魚灯の話は、今日、たまたま聞いていた国会中継でも誰かが言っていて、みんなそろって集魚灯を暗くすれば、あまり漁獲高も落ちないんじゃないか、という案は、あることはあるらしい。悪くない案だと思う。

そういう意味で、ガソリンが高いのも、案外悪くないんじゃないだろうか。

投稿者 akita : 2008年01月31日 20:20

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