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2010年07月06日
投資と博打の違い
誤解を恐れずに書きたいソボクな疑問。
「投資」と「博打」の違いはなんなんでしょうか?
投資は合法で、博打は違法。
でも、投資も、いろいろ予想を立てて財産を預ける、という意味では、博打に似ているような気がするんだけど。
だれか教えてプリーズ。
投稿者 akita : 2010年07月06日 20:15
コメント
賭博が違法かどうかは胴元によりますよね.合法的な賭博もありますから.
違いは,賭博は金を生み出さないので,特定の場(特定の賭け事)に対して集まった金の総額(から場を管理している者が手数料を取った金額)が上限そして同時に下限であるのに対して,投資の場合はそうとは限らない.集まった総金額より増えることもあれば減ることもありますね.
ちなみに,公営賭博は完全に(前金)現金払い制度だと思いますが,裏賭博は(非合法であるという以外に)そうではないことがあるので問題を起こすのではないかと思います.つまり,負けても払えないような金額を賭けることができる(そしてそれを奨励している).
投資でも,この裏賭博に性格が似ている商品がありますね.取次ぎ業者に手数料だけ払うことで,支払いの実態がなくても高額の投資が出来ちゃうようなやつですね.うまくいったときはいいけど,失敗したら大変なつけになって戻ってきますね.
同様に,投資であっても,そういう種類の商品があって,大きな問題を引き起こしてますね.
投稿者 大沢英一 : 2010年07月06日 21:47
文章を編集してたら最後に変な一文が残ってました.最後の文は冗長なので無視して下さい:−)
投稿者 大沢英一 : 2010年07月06日 21:51
コメントありがとうございます。
たしかに公営賭博というものもあるわけで、合法か違法か、で線を引くべきではありませんでした。
手持ちの範囲でやるか、手持ちの範囲を超えてOKか、という分類は、たしかにわかりやすいですね。
ところで、投資の場合、というお話で、(これがたぶん自分が持つ根本的な疑問だと思うのですが)集まった総金額より増えることがある、というのが、やはりまだよくわかりません。「富」とは何か?という話なのでしょうが、投資をして得をするということは、必ず誰かが損をしている、というわけでもないのでしょうか?ゼロサムではない?ここが、いまだによくわからないのです。
投稿者 akita : 2010年07月06日 22:27
株の話なのですか.株による利益は主に配当と株価差益ですね.配当は企業があげた利益に依存する話なので株式市場とは関係なさそうです.株価の変動も(株式市場が正常に機能しているときは)主に会社の利益や資本(剰余金の蓄積)に依存するわけですから,パイは固定しているわけではないですよね.もしもパイが固定しているのであればゼロサムゲームになるように思います.
賭博の場合はパイが固定してると考えればいいですかね.
投稿者 大沢英一 : 2010年07月07日 07:17
なるほど。株式市場のパイは固定されていない、つまりゼロサムではなく、みんながプラスになれる、ということですね。
ただ現実的は、結局誰かが損をするor誰かに損を押し付けることで、パイが増えているように見える、ような気がしてならないのです。ある国の中だけでは、パイが増えているように見えても、地球全体、人類全体では本当にパイは増えているのか?そこがよくわからないのです。
投稿者 akita : 2010年07月07日 10:09
例えば,過去50年でみて,人類が保有している総資産が増えているのか,それとも変化がないのか,といった話ですか.おそらく相当に増えているんじゃないですかね.
単純に考えれば,元々地球にあった,誰の所有物でもなかった資源を消費したり,太陽エネルギーを消費している(農作物もそれに相当すると考えて良い)わけですから,パイが大きくならないはずがないですよね.
投稿者 大沢英一 : 2010年07月07日 18:32
なるほど。では「資産」というのは、人類のもの、ということですよね。本来は誰のものでもなかったものを、所有を宣言することで、人類の資産、とする。
でも有限(まだまだ限界になるのは先かもしれませんが)ですよね。資本主義経済、特にグローバル資本主義経済というのは、これが無限であることを前提としているように思えるのですが、この仮定の妥当性は、どの程度のものなのでしょう?
現に、物理的な限界の前に、資本の移動という形で、別の国の資本や資源を自分の資産にしているわけですよね。その国から幸福を奪い取っていることになりませんか?(つまりゼロサム)
投稿者 akkita : 2010年07月07日 19:26
資本主義というのは有限資源(資源だけでなくあらゆるものの有限性)を前提としてると思いますよ.資本主義のもとでは,無限にあるものは価値がなくなると思います.例えば,地球上の酸素も有限ですが,実質的には無限にあるとみなしてよいので,それには価値がないんだと思います.
資本主義というか現在のグローバル経済の暴走と,それによる地球環境の破壊というのは,また別の問題だろうと思います.そのために資本主義の修正というのが,あちこちで叫ばれているわけですよね.
投稿者 大沢英一 : 2010年07月08日 11:47
なるほど。やはり資本主義の修正、という話に落ち着くわけですね。安心しました。ありがとうございました。
投稿者 akita : 2010年07月08日 17:51
ちょうど今日の新聞(北陸中日新聞)に、これに似た話が、公営カジノ構想などとからめてコラムに載っていました。
公営ギャンブル自体が定義や正当性があいまいで論理に無理があるので、いっそのことすべて民営化してみては?というような論調でした。(ちなみに古くは持統天皇のころにも賭博規制があった、とのこと。いたちごっこの歴史は古い)
ちなみに合法だけど賭博性があるものとして、FXや先物取引があげられていました。たしかにこれらは、株式投資よりも賭博性が強いような気がします。
投稿者 akita : 2010年07月10日 12:01