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2005年09月16日

eLearningというもの

eLearningに関するシンポジウムに参加してみる。技術的なことは、まあ、いい。
いろいろ実践されている方の話だと、ほおっておいても勉強する2割の学生は、さらにのびる。問題は残りの8割の学生で、彼らに、どうやって勉強をさせるか、という工夫が大変だ。ということらしい。
大学って、義務教育じゃないんだし、勉強したくないやつは、しなくてもいいんじゃないか?そんなやつに、無理にやらせてもしょうがない。と、思うのは、浅はかなんだろうか。
もちろん、興味を持たせる努力、彼らの知らない世界を見せてあげる、のは、大切だと思う。でも、それに応えてくれないんだったら、それ以上はどうしようもない。知的好奇心であれ、就職のための資格であれ、モチベーションをもてないなら、それを持たせようとするのは、余計なおせっかいのような気がする。
もちろん授業料を払っているんだから、ということはあるんだろう。だから、最初からあきらめて講義をやらない、というのはダメだ。でも、学生だって、お金を払った上で、別に勉強したくないや、と思っているんだったら、それ以上は何も言うまい。
お金を払っているんだから興味を持たせてくれなきゃだめだ、デキるようにしてくれなきゃだめだ、ということなのか?そのための努力を、彼らが自発的にやるのが、義務教育じゃない大学じゃないのか?そこまで「お客さん」扱いしなければいけないのか?
生活習慣のしつけができていないのを、小学校の先生のせいにする親がいるらしいけど、それに似たことなのか?日本はそんな国になってしまったのか?
どうも何を言いたいんだかわからなくなってきた。自分が本当に言いたいことじゃないような気がする。

投稿者 akita : 2005年09月16日 15:51

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 なんか書いてみたら長文コメントになったのでトラックバックしてみるてすと。  でも書いてみたものの、的外れかも。rz コメント/トラバ歓迎。  聞いた話です... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年09月24日 00:14

コメント

どうやら文科省の大学評価では100入れたら100出すのが一番よいらしいですよ?むずかしいですね。

投稿者 むかいやま : 2005年09月24日 14:23

ふーむ。100入れて100出すのがよい。歩留まりとか言う言葉を使ったら、工場みたいですな。ヘンな話。

投稿者 akita : 2005年09月26日 10:36

むかいやまさん:
はじめまして。驚いたのでちょっとお伺いしていいですか?
学生って[在庫]なのでしょうか?:-)
それってちょっとすごい発想ですね。
うーん、でも卒業第一と考えれば
在庫か。でも授業料払ってくれてるような気が。
あ、でも文科省の評価のほうが影響が大きいのでしょうか?

akitaさん:トラックバックにコメントありがとうございます。コメントに返信しましたが、ロースクールもいわば卒業だけでも結構資格的要素をもつらしいのですが、それに近い話でしょうか。

投稿者 もー : 2005年09月30日 00:59

やっぱり難しい問題だった。困ったな。

投稿者 あきた : 2005年10月06日 18:46

難しい問題だったんですか?
というか私自身、間違っているのかなぁ。?

投稿者 もー : 2005年10月07日 23:04

あ、いや、基準をどっち(アカデミズムと経営)に置くかが、悩ましいなあ、という意味です>難しい問題

投稿者 あきた : 2005年10月07日 23:07

あ、今コメントきがつきました。ごめんなさい。>もーさん

ちょっと表現が足りなくて誤解を読んだようですね。まずごめんなさい。僕も初めて聞いたときはなんじゃそれ?と思いましたが、別にお役所仕事で生徒をもの扱いして在庫整理しているわけではないと思いますよ。

これは様々な大学評価のうちの「教育」に関することの「ひとつ」の指針です。実際にはひとつの評価だけですべてが決まるわけではないと思います。

という前置きをおいておいて100入れ100出し話をすると
秋田さんが書いている通り2割の学生はほっておいてものびます。これを文科省もわかっているとしたら(つうか、わかってるでしょう)エリート指向でできるやつを伸ばすって言うのは「何もしていない」ってことですね。;-)
つまり100入れて20の優秀なやつが出るのは「どんな大学でも当たり前」なわけです。
で、つぎ100入れて120出す。これってつまり、かなりためこんだ留年生をとにかく卒業させることだから、先生は「努力していない」ってことですね。

あと120入れて100出すっていうのは結局100入れて80出すってことなのであまり意味がありません。

結果100入れて100出すっことはちゃんと教育をやらなきゃできないもっとも難しい目標ってことなんだと思います。

これは大局的な視点からの評価です。つまり個々の先生の能力の評価ではなく大学としての「カリキュラム」の評価です。
だって、大学のほうでカリキュラムをきめれるわけです。多種多様なカリキュラムがあります。しかし、だからといってそれぞれ違う大学だから比較できないということでは認可側としてはお仕事にならないんじゃないでしょうか?となれば数値であらわすことになりますが、
100入れ100出しっていうのは非常にわかりやすい数値目標と思いました。(ま、100入れ90出しでもいいんじゃない?と思いますが)

もちろん例外もあります。僕の卒業した京都芸大なんかはそんなこと微塵も考えてませんでした。一人でも大作家が生まれればよしという風潮ですね。しかし、それは過去の実績とほぼなにもしなくても受験倍率6倍という驚異的な数値を維持している大学だからできることだと思われます。そのかわり文科省からの補助金はほとんどないはず。

こんなところでしょうか?

まぁ、タイミング逃したし、秋田さんがけりをつけているのでこれで締めということで

投稿者 むかいやま : 2005年10月26日 23:32

なるほど。なかなか入り組んだ論理ですね。役所的論理ともいえるかもしれない。数値目標か・・・

投稿者 akita : 2005年10月31日 19:00

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